写真とカメラの歴史

写真の歴史 その1

今や、写真は私たちの生活に無くてはならないものです。東京の街にはフォトスタジオが溢れ、人生の節目には写真のプロに撮影してもらうのが慣習として強く根付いています。

 

わが国の写真は、どのような歴史を経て現在のような状況へと変化してきたのでしょう。
これから2回にわたって写真の歴史を紹介します。

 

第1回のこのサイトでは、1843年から幕末までの歴史です。

 

写真の原点である銀板写真が発明されたのは1839年のことです。

 

それから4年後の1843年には、オランダ船によって日本初の写真機材が長崎に持ち込まれました。

 

1848年には、薩摩藩主の「島津斉彬」が銀板写真機材を入手。
研究の結果、9年後の1857年に写真撮影に成功した。

 

1860年には、中国で写真館を経営していた「フリーマン」が横浜で日本最初の写真館を開業

 

1862年には、「上野彦馬」が長崎の中島河畔に日本第1号の写真館である「上野撮影局」を開業
同年には、横浜在住のアマチュア写真家下岡蓮杖も写真館を開業している。
(1861年には、フリーマンの機材を購入した「鵜飼玉川」が
江戸薬研堀で日本人による最初の写真館を開業したと紹介した資料もある)

 

1863年には、堀与兵衛(大坂屋与兵衛)が京都で、
1864年には木津幸吉が箱館で写真館を開業

 

1866年には、上野の弟子である富重利平が柳川で開業し、
西南戦争の跡や熊本の風物などを撮影している。

 

また、島霞谷も幕末に江戸下谷で写真館を開業しており、
彼の妻である島隆は「日本最初の女流写真家」になった。

 

幕末・明治初期の写真にかけて、わが国の写真に大きな影響を与えたのがフェリーチェ・ベアトです。
彼は1863年から1884年まで日本で暮らし、日本の水彩画の技法を取り入れた着色写真を残している。

 

なおベアトの弟子である日下部金兵衛が発売した「横浜写真」と呼ばれる
表紙に細工や蒔絵を施した豪華アルバムは、輸出商品として人気を得たと言われている。
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写真の歴史 その2

このサイトでは、写真の歴史の第2回として「明治から20世紀まで」の写真の歴史を紹介します。

 

1876年(明治9年)には、わが国最初の写真版権保護に関する写真条例制定

 

1887年(明治20年)には、写真版権条例制定(写真条例は廃止)

 

1894年(明治27年)には、日清戦争で従軍写真班の小倉倹司が、
わが国初のフィルムを使用した撮影を行った。

 

1900年頃には、日露戦争のなかで「報道写真」誕生
報道写真とは、主に印刷媒体を使って報道する際に
その内容を視覚的に伝えるために用いられる写真のことをいい、
ヨーロッパではクリミア戦争、アメリカでは南北戦争、わが国では日露戦争がその始まりとされている。

 

1900年頃から1930年代にかけて、「芸術写真」の時代を迎える。
芸術写真は欧米の絵画的な写真表現のピクトリアリスムの影響を受けながらも、
日本画的要素の取入れ・叙情性の重視といったわが国独自の特徴を持っていた。

 

1920年代には、前衛芸術が活発化するなか、
写真芸術写真の分野でも前衛的な「前衛写真」が活発化

 

1930年代に入ると、芸術の表現運動の国際的な流れに連動して、
絵画とは異なる写真独自の表現を追究する「新興写真」の時代が到来。
これによって、それまでの絵画主義的なピクトリアリスムと決別する。

 

新興写真の時代から21世紀に向けての歴史的な流れのポイントは、次のとおりです。

 

・新興写真は「報道写真」や「前衛写真」といった写真分野へと吸収されていくが、
前衛写真は太平洋戦争の中で衰退し、新興写真は報道写真へと解消されていく。

 

・報道写真は、アマチュア写真家や芸術写真・前衛写真は
社会性がないものとして排斥していく一方で、新興写真を飲み込んでいく。

 

・報道写真は他の写真分野と同様に戦争に飲み込まれるが、そのことでつぶされることなく、
戦後も確固たる位置を確保して現在まで継続している。